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史上最も危険なテクノロジー  パート3a

The Most Dangerous Technology Ever Invented – Part Three Published on November 6, 2021 Written by Arthur Firstenberg

https://principia-scientific.com/the-most-dangerous-technology-ever-invented-part-three/ 

ニューヨークでデジタル携帯電話のサービスが始まった日、私は3日間の法律会議で家を離れていました。帰宅した日、私はめまいがしました。

数日後には吐き気がして、コントロールできないほどの震えに襲われました。生まれて初めての喘息発作も起こりました。目玉が飛び出してくるような感覚があり、唇は乾燥して太く腫れ上がり、胸には圧迫感があり、足の裏が痛くなりました。私は本を持ち上げることができないほど弱くなりました。肌は敏感になり、触られるのも耐えられず、服を着るのもままならない状態でした。

私の頭は貨物列車のように唸っていました。4日目以降は寝ることも食べることもできませんでした。6日目の夜には、喉頭が3回痙攣しました。そのたびに息を吸うことも吐くこともできず、死ぬかと思いました。翌朝、家を出て二度と帰りませんでした。

このようなことは、私だけではなく、一部の人だけに起こったことでもありません。19961114日、オムニポイント・コミュニケーションズ社がすべてのセルタワーに電源を入れた日から、何十万人ものニューヨーカーが突然病気になったのです。多くの人は、心臓発作や脳卒中、神経衰弱だと思っていました。保健省はこれをインフルエンザの流行と呼び、翌年の5月まで続きました。

この時、なぜニューヨークだけが流行し、近隣の都市が流行しなかったのか、不思議でなりませんでした。疾病管理センターが発表した毎週の死亡率の統計によると、1117日の週から11週間にわたって、ニューヨークの死亡率が17%上昇し、2,300人が死亡しました。

この流行がボストンを襲ったのは、翌年の19971112日にスプリント社が同地でサービスを開始してからのことでした。このときは、16週間にわたって死亡率が15.5%も上昇しました。サンディエゴでは、1996111日にパシフィック・ベル社がサービスを開始し、17週間続いて死亡率が14.5%上昇しました。翌年の夏には、ロサンゼルスでパシフィック・ベルがサービスを開始し、その後15週間にわたって死亡率が30%上昇しました。

春にはフィラデルフィアで199743日にスプリント社がサービスを開始し、秋にはデトロイトで19971015日にスプリント社がサービスを開始しました。前年の秋には、フロリダ州ジャクソンビルでパワーテル社がサービスを開始しました。シカゴ、ミルウォーキー、オースティン、サンアントニオ、フォートワース、ヒューストン、アトランタ、フレズノ、スポケーン、ポートランド、サクラメント、シャーロット、タルサでは、それぞれの都市でデジタル携帯電話が使えるようになった日に始まったのです。

私は1996年に、出力レベルは重要ではないことを学びました。ブルックリンでマイクロ波を6日間浴びただけで死にかけた私は、放射線量が非常に高いに違いないと確信し、プロのエンジニアであるスチュアート・マウラー[Stuart Maurer]氏を雇って、スペクトラムアナライザーを持って自宅に行き、放射線量を測定してもらったのです。私はその日、ニューヨーク州北部のモーテルの部屋から降りてきて、彼を見守りました。

驚いたことに、マウラー氏が測定した家の中の最高レベルは、1平方センチメートル当たり0.0001マイクロワットでした(=0.001 mW/m^2蛇足:周波数の効果もあるでしょうが、このレベルで上記のような影響があるなら、いろいろなところで頭鳴や不眠などの被害が発生するハズですね。私はマイクロ波についてまだまだ学ぶべきことが多く、知っていると思っていたことの多くが間違っていたことが明らかになりました。

同じことが今、5Gでも起きています。今回は、インフルエンザウイルスのせいにする代わりに、コロナウイルスのせいにしています。そして今回は、一度に一つの都市ではなく、あらゆる場所で一斉に起こっています。20201013、ベライゾンは全米で5Gネットワークが利用可能になったことを発表するプレスリリースを出し、同じ日にアップルは5G携帯電話「iPhone 12」の発売を発表するプレスリリースを出しました。

iPhone 1212 Pro1023に、iPhone MiniMax11月初旬に店頭で発売されました。そして、2つの州を除くすべての州で、1024日の週またはその直後から、遅くとも1121日の週には、死亡率が急上昇し始めました。例外は、1017日の週に死亡率の上昇が始まったウィスコンシン州と、昨年の冬に死亡率が大きく上昇しなかったハワイ州でした。全米では、20週にわたって平均25%の死亡率の上昇が見られ、30万人が亡くなりました

鳥や昆虫、野生動物、植物にも一度にあらゆる場所で起こっています。テネシー州ノックスビルの特派員は先週、私にこう書いてきました。

「この23ヶ月の間に、我が家の花に5匹のマルハナバチが寄り添っていることに気づきましたが、私には麻痺しているように見えました残念ながら我が家のすぐ近くにはVerizon5G Ultra Widebandがありますが、これは屋外でしか利用できないので、その影響を受けているのだと思います。4匹をそれぞれ別のタイミングで家の中に入れたところ、4匹のうち3匹は5分ほどで復活したので、その後外に放しました。4匹目は復活するまでに1時間ちょっとかかってから飛び立ちました。」

バーモント州イーストドーバーに住む別の観測者は、数日前にこう書いています:

「私たちは3エーカーのカシス、200本のブルーベリー(11種)、そしてその他の斬新なベリー類を栽培しています。私たちの小さな農場は有機認証を取得しており、8エーカーの空き地(植樹されているのは3エーカーのみ)と31エーカーの残りの部分は森林です。ブラックカラントは早咲きで、4つの品種がそれぞれ数日以内に開花します。畑には、真ん中が赤いマルハナバチなど、さまざまな受粉媒介昆虫がやってきます。その中には、真ん中が赤いマルハナバチも含まれていて、様々な形の虫が音を立てて働いているのを見るのも、聞くのも不思議です。

「今年の春、手前の畑に咲いた花を眺めながら畝を歩いていると、ふと足を止めました、なぜならほとんど静かになっていたからです。2,225本のクロフサスグリの中に2匹のマルハナバチがいて、その鳴き声があまりにも静かで目立っていたのです。リンゴ農家の5代目にこの話をしたところ、今年は授粉媒介者がいないだけでなく、すべてのタイミングがずれているとのことです。

例えば、彼のアスパラガスは2週間早かったです(私たちのもそうでした)。2020年に比べて、今年のカシスの開花時期は2週間早かったですね。春は寒かったですが、私は、その分、開花が遅れるのではないかと思っていました。それも虫がまだいなかった理由なんですね。2週間というのは、とても大きいですね ブルーベリーも全体的に早かったので、いつもの品種による開花の連続が変わってしまいました。

「翌日、私はミツバチ農家であるフォーエバー・ワイルドに駆けつけ、4つの巣箱をパレットに確保しました。寒くて飛べなかったので、ミツバチたちはブラックカラントが咲き乱れる中、巣箱の中に留まっていたのです。どうやら、マルハナバチは50°F10℃)前後の気温でも飛べますが、ミツバチは59°F15℃)以上でないと飛べないようです。そのミツバチ農家によると、ミツバチはバーモント州の4分の1を受粉させているそうで、北の方(主にリンゴ)の人たちは皆、同じことを言っていたそうです。

「もうひとつ不思議だったのは、今年はマメコガネが非常に少なかったことです。これは非常に雨の多い年だったからかもしれませんが、マメコガネもマルハナバチも地中で冬を越すという点は興味深いですね。また、9月にマサチューセッツ州コンコードの両親を訪ねた際、母はすべてのオークに暗い斑点があることを指摘していました。ここ南バーモントでは、すべての木の葉に同じような斑点があり、特にブナとクウェーキングアスペンに見られます。

私は2014年に初めてベリー類の苗を植えたので、農場を所有・運営している膨大な個人的経験はありませんが、観察を続けていきたいと思っていますし、ケイティ・ハガティがブラックカラント以外で行ったアルミスクリーンを使ったあの実験を再現するつもりです。」

 

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