忍者ブログ

さてはてメモ帳 Imagine & Think!

独立個人党のオルタ黙示録:なんでも何が正しいのか自分で考えてみよう-世界暴政化の策謀を絵本で理解-「百聞は絵本にしかず」

ドイツ、コンラート・アデナウアー、EU、そしてナチス Vernon Coleman

Germany, Konrad Adenauer, the EU and the Nazis  11th November 2022

https://vernoncoleman.org/articles/germany-konrad-adenauer-eu-and-nazis 

Covid-19について真実を語ったために悪者にされ、嘘をつかれる前に、『Independent』紙はヴァーノン・コールマンをこう評している:「メディア・ドキュメンタリーの王」

ドイツ国民は、史上最も偉大なドイツ人としてコンラート・アデナウアー[Konrad Adenauer]に投票した。拙著『EUの衝撃史』からの抜粋を読むと、不思議に思われるかもしれない。

コンラート・アデナウアー(ドイツ 1876-1967

1949920日、戦後初の「まともな」ドイツ首相であるコンラート・アデナウアーは、ヒトラーの政策を継続するつもりであることを明らかにした。(厳密には、ゲッペルスはヒトラーの死後一日だけ首相を務めた)

アデナウアーは、ドイツの首相として就任したとき、「我々は、すでに成功した経済政策の道を歩み続けるだろう」と発表した。

アデナウアー自身はナチス支持者として知られており、欧州連合の歴史において重要な人物とみなされている。彼は通常、EUの「主要な創設者」の一人とされており、それゆえナチスに対する彼の態度は極めて重要である。

戦後初のドイツ首相がナチスを優遇したり、ナチスを政権に取り込んだりしないように細心の注意を払うと想像されるかもしれない。実際、アデナウアーほど、ナチスが「新生」ドイツの発展において重要な役割を果たすようにした人物はいなかったし、終戦直後、アデナウアーは意図的にナチスの幹部を大きな権力の座に復帰させたのである。EUがアデナウアーを今でも重要で尊敬すべき人物と考えていることは、この組織のナチズムに対する姿勢のすべてを物語っている。

アデナウアーが1953年から1963年まで参謀長(首相府大臣)を務めたのがハンス・グロブケ[Hans Globke]qv)という人物である。

グロブケはナチスの支持者で、1935年にユダヤ人のドイツ市民権を剥奪するニュルンベルク人種法の起草に関わった人物である。グロブケは、ユダヤ人が大量に殺されていることを知っていたことを認めている。(グロブケは、ナチスの正式な党員になることを希望していたが、マルティン・ボルマン[Martin Bormann]に断られた)

グロブケはアデナウアー戦後政府の最重要人物として、上級職への採用の責任者であった。(アデナウアーはそれまでケルン市長に過ぎなかったので、経験が浅く、グロブケに頼り切っていた)

そして、グロブケのおかげで、ドイツ省の新しい国務長官は、ナチズム反対派をゲシュタポに売った男フランツ・テディック[Franz Thedieck]になった。大蔵省の国務長官には、ユダヤ人の財産没収を監督したアルフレッド・ハルトマン[Alfred Hartmann]が就任した。運輸省、経済省などなど、元ナチスの手になるものばかりだった。アデナウアーが任命した人物の多くは、最悪の記録を持つナチスであり、このことを指摘されたドイツ首相は、その人事を擁護した。ナチスはアデナウアーに歓迎され、保護されたのである。

ドイツが自治を取り戻すやいなや、アデナウアー新政権は、ドイツの公務員にもう少し民主主義を導入しようと1948年に導入された連合国の法律を覆した。グロブケは、戦時中にナチスの活動によって職を追われた元公務員を、元の職(あるいはより高い職)に復帰させる変更を行った。ナチスはドイツで再び権力を握ったのである。驚いたことに、外務省には184人の元ナチス党員がすぐに戻ってきた。そのうちの153人以上がリッベントロップ[Ribbentrop]の下で働いていた。(アデナウアーはリッベントロップが処刑されたので、リッベントロップを復帰させることができなかった)

アデナウアー時代は、ナチスにとって大当たりだった。1960年代初めには、60人以上の西ドイツ大使や外務官僚が、最終解決の組織化を手伝った元ナチ党員だった。元SS隊員はどこにでもいた。アデナウアーの個人秘書であったヘルベルト・ブランケンホルン[Herbert Blankenhorn]は、元ナチであったが、やがてドイツの外交官としてますます影響力を持つようになる人物であった。ほとんど信じられないことだが、この元ナチスは 1965 年から 1970 年にかけて西ドイツの駐英大使を務めている。それ以前は、NATO、フランス、イタリアの西ドイツ大使を務めていた。

アデナウアーがグロブケが戦時中に何をしたかを知らなかったというのは考えられないことだ。グロブケがドイツでナチスを復権させたことも知らなかったとは考えられない。しかし、自分の名の下に行われたことを心から認めていたとは考えられない。

今日、ヒトラーとナチスの熱心な支持者であったアデナウアーは、EUではその創設者の一人と見なされている。

ヴァーノン・コールマン著『The Shocking History of the EU EUの衝撃的な歴史)』より引用。その本は、Amazonでペーパーバックと電子書籍として購入できます。

 

関連

コンラート・アデナウアー/ジンサー-マクロイ・リンク by Clifford Shack

ヘンリー・スティムソン/ジョン・J・マクロイ/フレデリック・ジンサー by C. Shack + 終末の始まり?

など

PR

コメント

プロフィール

HN:
beingtt
性別:
非公開

P R