ヴィクトール・ヤヌコヴィッチ[Viktor Yanukovych]は2010年の選挙で勝利した直後にホワイトハウスに呼ばれ、オバマから自国をNATO加盟に向けて後押しするよう求められた(ウクライナ国民を対象に行われたすべての世論調査では、ウクライナ国民の大多数がNATOを敵視し、ウクライナの友人ではないことが示されていたが)。
ヤヌコビッチは断り、オバマ政権は2011年までにヤヌコビッチを倒し、後を継がせるクーデターを起こし、ウクライナをNATOに加盟させ、アメリカがモスクワからわずか5分の距離にミサイルを配置して、報復禁止の核先制攻撃をできるようにしようとし始めた。
2003年から2009年にかけて、NATO加盟を希望するウクライナ人は約20%にすぎず、約55%が反対していた。
2010年、ギャラップ社によると、ウクライナ人の17%がNATOを「自国の保護」と考えているのに対し、40%が「自国への脅威」と回答している。
ウクライナ人は圧倒的にNATOを友人ではなく、敵とみなしていたのである。しかし、2014年2月のオバマのウクライナクーデター後、「ウクライナのNATO加盟は53.4%の得票率、ウクライナ人の3分の1(33.6%)が反対する」となったのである。
2014年のウクライナのクーデターは、ウクライナのNATO加盟と、1783年以来ずっと、ソ連の独裁者が1954年にウクライナに譲渡した(クリミア)クリミアをソ連最大の海軍基地として継続しつつ、ロシア最大の海軍基地を押さえることの2点だった。オバマは、遅くとも2013年6月までにすでに、その海軍基地を奪い、さらに別の米国の海軍基地にすることを計画していたのである。
しかし、クーデターで成立した新政権を「民主主義」として存続させるためには、ヤヌコビッチに75%投票したクリミアと、90%以上投票したドンバスから、特にロシア寄りの有権者を民族的に浄化する必要があったのである。
だから、オバマがインストールした政府がウクライナの権力の手綱を受け取るとすぐに、ウクライナのトップの将軍たちは、狂信的な反ロシアの将軍に置き換えられた。彼らは、特にドンバスで、「反テロリスト作戦」または「ATO」と呼んで、「テロリスト」たちの民族浄化を計画したのであった。(ドンバスはウクライナの「東部」の最東端にあり、スライド26に示されているように、クリミアだけがウクライナの「東部」よりもさらに反米的であったことがわかる。
ドンバスはその「東部」の中で最も親ロシア的な地域であった。したがって、この2つの地域は、オバマが特に民族浄化、「ATO」を必要とした地域であった。) しかし、それはオデッサや、ヤヌコヴィッチに多く投票した他のウクライナの都市でも行われた。これは、永久にナチスに支配されたウクライナを生み出す「民主的」な方法であろう。
オバマ政権はウクライナにドンバスを早く征服するよう要求しており、その地域の空軍力はウクライナ空軍だけだったので、ウクライナはドンバスを執拗に爆撃したのである。爆撃機が1機撃墜されたが、米国を中心とする政権にとっては小さな損失でしかない。ドンバスは空爆によって壊滅的な打撃を受けた。
アメリカ政府は、ウクライナがドンバスを焼夷弾で攻撃することを認めているだけでなく、それらの焼夷弾について議論したアメリカのシンクタンクは、ウクライナ政府はもっとそれを行う必要があると述べている。
ウクライナのナチスは、ヤヌコビッチに多く投票したウクライナの地域で、子供を殺すためにスクールバスをも標的にしている。
さらに、ウクライナの右派地域では、反ロシアの憎しみを広めるためにナチスを教室に招き入れ、生徒たちに彼らの運動に参加するよう促す文献を提供しているのである。
これが、2022年2月24日にロシアがウクライナに侵攻する前の状況である。
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